【枚方でえんとつ町のプペル展を開催する私の想い】

障がいを抱える人が安心して見に来れるような環境を整えて、多くの障がいを抱える人が枚方で開かれる「えんとつ町のプペル展」に足を運び、ワクワクを感じて夢見る自身の力を思い出してもらう。

これは障がいを抱える人と健常者とを別々にすることが目的ではなく、私の究極の目標は「障がいのある人もない人も、互いを尊重しあいながら楽しく生きる環境づくり」であるので、その活動の一端とみなしています。

●at 枚方「えんとつ町のプペル展」を開催することを決めるに至った経緯

《先ずは私の父のこと》

父:2014年夏、脳出血を起こすまで現役の税理士。70代後半。庭いじりが大好きで、毎日仕事に出かける前の30分は必ず庭の手入れを行い、仕事では大阪市内や京都などのお客さんのところへ、電車バスを利用して出かけたり、旅行好きだけれどもツアー旅行が嫌いであちこち家族の運転する車で出かけたり(本人は免許持ってない)、地方でレンタカーを借りて旅行していた。また、京都生まれで京都が大好きだった父は、私を連れやはり電車バスを利用してよく京都を案内してくれた。

《抱えた障がい》

◆右側身体麻痺-4点杖を使い、介助があれば室内を1日10mほど歩行可能。1cm程度の段差を歩いて超えることは難しい。移動は主に介助での車いす。

◆嚥下障がい-飲み込みの障がい。一日0.5㏄の水分6~10口。全くできない日も。水分・栄養補給は腸瘻(ちょうろう)から。遡ること5年前に胃癌により胃の全摘出を行ったため、小腸に直接チューブを繋ぐ。腸に直接食べ物が入るため、胃瘻よりも時間をかけて注入する必要があるなど、留意点が多い。医療行為の一つ。

◆排便排尿障がい-トイレに行きたいや出てしまったことも気づけない。

◆高次脳機能障害(失語症、遂行機能障害など)

◇失語症-言語の障がい。話すこと、聞いて理解すること、読むこと、書くこと、計算することが難しい。羅列されたひらがなの違いを認識できないため、アイウエオ表が使えない。コミュニケーションにはボードに簡潔に書き出したもの(「はい」「いいえ」で答えられるもの)を見せながら、ゆっくりと音読の上、指さしなどで「はい」や「いいえ」を選択してもらう。一方、本人が伝いたいことがあって、こちらがそれをくみ取る努力をしてもなかなか伝わらないとき、本人が伝えようとペンを手にするが字にはならない。計算は一ケタの数字の足し算引き算も間違えてしまう。また、いったん意思の確認ができたと思っても、実は字の読み取りや聞き取り、伝えるときに間違えていて(本人は気づいていない)、後になって全く正反対のことを望んでいたと判明することも。

◇遂行機能障害-物事を成し遂げるために必要な目標設定、計画、それを効果的に実行することができない。例:動く左側の手足を使っても、その方法を何度訓練しても、一人で着替えることができない。右袖に左手を通してしまうなどや、ベッドから車いすへ移ることが一つ一つの声掛けなしには行えないなど。また、時間制限のある中で物事を成し終えることができない。

◇自分のいる場所を的確に認識できない。長年住み慣れた自分の家がわからない。また、出かけても帰る方向がわからないなど、他にもさまざま。

以上から、要介護度は初年度は4、次年度は5、障害者手帳の等級は失語などを含めて1種1級。

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以上のような障がいを抱えた父だったけれど、その性格や考えることは障がいを抱える前と何も変わらなかった。言語的に表出することに問題を抱えただけで、表情の豊かさも何ら変わらなかったので、父とのコミュニケーションは知的でユーモアにあふれたとても豊かなものだった。でもだからこそ、現役税理士であった父が脳出血を境に数字を間違えたり、物を認識してその名前を言うことを間違えてしまうなど、見ている私にもかなりのショックだったし、本人は尚更だったろうと思う。大好きだったジグソーパズルも3歳児用でさえもなかなかできなかったし、入院リハビリの初めのころは、散歩に出かけては車のナンバーの都道府県を指さすと間違えても読んでいたけれど、次第にそれもしなくなっていった。

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その父を在宅で介護することに決めた私は、父を寝たきりにさせてしまわないためにあらゆる努力をした。ベッドに横になっていると昼間も眠ってしまうので、声かけをしながら車いすに誘導、居間へ連れ出しては一緒にゲームをしたりと飽きさせないように心配りした。そのうちの一つに外出があって、自宅に帰って暫くは、出かけるきっかけになるからとかかりつけ医へも車いすを押して出かけたし、散歩にも連れ出したけれど、このあたり一帯は坂道が多く、歩道も電動ではない車いす利用者にはかなり厳しい状況で、行って帰ってくるとクタクタになってしまって、十分なその後の介護ができなくなってしまうため、かかりつけ医には訪問診療をお願いし、その他の外出のためにガイドヘルパーの利用を開始した。

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《ガイドヘルパー》外出支援をしてくれる有資格者

その利用にあたって:

◆公共交通機関を利用。家族の運転する車には乗れない。

◆医療行為は行えない。

◆病院への送迎は行えない。

◆失語症者とのコミュニケーションにはいくつか留意点があるが、その認知は十分ではなく、失語症者本人とガイドヘルパーだけではコミュニケーションが十分に取れない。

◆利用時間単位が30分から。

◆登録者数が圧倒的に少ない。

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以上のことや、町中のバリアフリーが車いす利用者向けの対応は進んできているものの、失語症者を念頭に入れたコミュニケーションバリアフリーは全く十分ではなく、父が外出するには必ず一緒に出かける必要があった。また、出かけたい先が大阪市内の失語症者の月例会だとすると、片道1時間半、往復するだけで3時間にプラス月例会に参加する時間を30分~1時間としても、トイレや水分補給の時間を加えて4時間以上の所要時間となるため、ガイドヘルパーの確保が難しいことも。ひと月前に予約して何とか対応してもらえるが、例えば来週京都まで出かけてみたいと思っても、それはなかなか難しい。

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《地域活動支援センターという枠組み》

失語症ほかの障がいを抱えた父は、それまでの友人に会うことよりも、同じ失語症を抱えた人たちに会いたがったため、いろいろと調べて失語症友の会とは別に、大阪の十三に失語症者を対象にした地域活動支援センター「すももクラブ」を見つけて見学に出かけていくことにした。

そこは失語症者のためのデイサービスとして始まったところで、現在は地域活動支援センターとして活動をしている。他市からの利用者も受け入れていた。

施設の見学と説明を私が受けている間、父は施設紹介のファイルを何度も何度もページをめくっては食い入るように見ていた。

その姿を見ていたSEと呼ばれる言語聴覚士の先生が父に声をかける「竹井さん、今日は将棋を指される利用者さんがいらっしゃるので一度やってみませんか?」と。父は将棋や囲碁が大好きなのだと私が話したので、どの程度の障がいがあるのかを見るためだったろうと思うが、そのように声をかけられた父は迷わず将棋盤に向かい合った。

そのときの父の姿は忘れられない。

脳出血を起こしてからというもの、何かに夢中になるということがなくなっていた父。入院期間が長引くほどにリハビリの意欲さえ失っていった父が、家に帰れると分かってからの1カ月は猛烈にリハビリに精を出し、その回復ぶりに先生たちを驚かせもしたが、私も父も家に帰ったらもっといろいろなことが楽しめると儚くも期待していただけに、そうではない現状に落胆することが多くなっていった中でのこの日。

身を乗り出して将棋盤を無心に見つめ、次の一手を熟考している父は、いつものように飲み込まなくなった唾液を垂れ流していたので、その真剣なまなざしを喜びつつ眺めながら、将棋盤や机に涎が落ちないように横から口もとを拭っていた(身を乗り出さない普段は、ハンドタオルを襟元に置くだけ)。2、3回拭っただろうか?急に父は将棋盤を見つめながら私の手をぞんざいに振り払う。

その父の行動に、私の中にはとても大きな「!」が起こった。

この出来事は本当にとても私を驚かせ、また大いに私を喜ばせた。

こんなにも夢中になっている父がいる。「わしが真剣になっとんねんから、お前邪魔すんなや」そんな声が聴こえた(これは実際に父が喋ったわけではなく、そのときの父なら言いそうな言葉が私の中に響いたということ)。

そして暫く夢中になって将棋を指している父にまたSEが声をかける「竹井さん、竹井さんがどんなに将棋がお好きか十分にわかりましたよ。今日はこれぐらいにしておきましょうね」その声にハッと顔を上げた父は、それはそれは、大好きなことに夢中になっている姿を見つかってしまった少年のようなはにかみ笑いをする。

その表情のなんて生き生きとしていたことか!

素晴らしかった。本当に素晴らしかった。そのときの父は障がいを抱えてから初めて、自分らしく生きていた。その父を見て「この父をまた見ることができるなら、何があっても、例え週一でも父をここに連れて来よう」そう心に強く思った。福祉制度について何も知らない私はそれが実現するものと疑いもせずに。

けれど、大阪の十三にある地域活動支援センターはその名の通り地域の活動。それでも全国的に失語症者を対象にしたところは本当に少なくて、「すももクラブ」は他市からも利用者を受け入れていたから、まさか枚方市に拒否されるとは思いもしなかった。

しかしながら枚方市役所の職員の返答は「うちではそういったことは支援していない」といったもので、取りつく島もない。

そこで私は「すももクラブ」と直接交渉すればいいのかと、先方に電話をかけ父が通えるようにしたいと伝えたが、枚方市と直接話をしてみるので待ってほしいとのこと。待つこと数時間。先方が言うには枚方市は「市内に地域活動支援センターがあるのに、なぜ他市の施設に行くのか?予算がない。前例がない」の一点張りとのこと。そして付け加える「こうなると私たちではどうすることもできません。当事者の力が一番大きいですから、もう一度市役所に出かけて話してください」と。

その電話でのやり取りの一部始終を離れたところから見ていた父の表情は、あっという間に曇っていった。哀しいほどに、その落胆ぶりが伝わってきた。その後の声かけに父は興味を示そうとしなかった。

そんな父を見て、このまま「はい、そうですか」では終われないと思った私は、知人に連絡を取り枚方市議会議員と繋いでもらって、例えすぐにではなくても、今後そのようなことにも枚方市が対応していけるように交渉する道を選んだ。

その議員さんと直接電話でお話をさせていただき、市の職員と私と父、そして議員さんを含めて父の希望を叶えるために、今後どういったことができるか話し合う機会を約束した。日時を決めた。

けれど。その約束の日を待たずして父は高熱を出してしまい、入院治療を試みるものの、入院当初の検査では見られなかった腫瘍がたったの2週間でできるなど対処のしようがない状態に。

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その後父を家に連れて帰り、脳出血を起こしてからたったの1年と2カ月でこの世を旅立つ父の最期を看取ったわけですが、障がいを抱えてからの父と過ごした中で私が感じた今の環境に対する、どうして?なぜできないの?当たり前の望みなのに?がベースにあって、そこを解決していくために出来ることはなんだろうかと考えたとき、一番は障がいを抱えた人本人が自分の夢を追おうと思える環境を創ることではないか、そのために楽しむことができる空間を提供していきたいと思うに至ったわけです。

たとえどのような障がいを抱えようとも、一人の人として生きることを楽しむことができてこそ幸せな社会だと思うのです。

この西野さんの「えんとつ町のプペル」のお話は、夢を諦めないでと伝えています。夢見るワクワクを思い出させてくれます。それをぜひ障がいを抱えることで、些細な夢も諦めたかもしれない人たちに贈りたい。そんな人たちのことをもっともっと社会の人に知ってほしい。

それが私の想いです。

何もわからないけど「えんとつ町のプペル展」を開催する

昨日、こんなこと呟いて→「障がいを抱える人限定?とかで開催したい。この話は夢を持ってる人を応援する。障がいを抱えると、家族にさえ言えない、自分でも叶えられないと思うような夢が。時間はかかっても諦めなくていいんじゃないかって。そんな想いを込めて。やりたい→『キングコング西野の個展《えんとつ町のプペル》を入場無料で開催したい! http://camp-fire.jp/projects/view/10837 』」

その支援の一つ『あなたの町で《えんとつ町のプペル展》を開催できる権利」を支援した。

っていうことは、開催するんです。こっちで。何も知らない私が。狼煙を上げて。狼煙を上げる?おぉ、随分と大きく出ましたね(笑)

私の中で、開催期間中のある一定期間でも、障がいを抱える人がゆっくり安心してLED照明で光るプペルの絵を観て廻ることができるような環境を作りたいと。

LED照明で光る絵ですから、暗いんです。

障がいを抱える人が、そんな環境、安心して観て廻れると思うか?って問われたら、「わかりません」としか答えられない。本当に。

また、そんなイベントをこれまでに開催したことがあるのか?と問われたら「1度もないです」と言うしかない。

何をする必要があって、何から手をつければいいかもわからないし、障がいを抱える人を対象にって言っても、結局は出かけることができる方々しか観ることはできないし、こんな思いつきみたいなことに手を貸してくれる人がいるかどうかもわからない。

いろんな、いろんな、そんなことできるわけないだろって考えが浮かんでくる。

でも、消去法の考え方は何一つ生み出さないと思ってて。

アインシュタインの有名な言葉に「その問題を生み出したのと同じ思考では、決してそれを解決できない」というのがあるけど、これは自分自身の経験からも思うことで、消去法の考え方が正にアインシュタインの言ってる解決できないやり方なんだよね。愚痴を言ってるだけって言うのも同じ。

愚痴を言うってことは、何かそこに不公平感なり違和感を感じてるってことだから、その違和感が何であるか見極めることができるのは、愚痴ってる本人だけ。それを見極めたときに、その元にあるものが個人的な経験からくるものであろうと、何だろうと、その違和感を感じさせたものがどのようなものだったら、違和感を感じなかったのだろうか?ってことを私は考える。

そこにあるのは、貴重な存在である自分を尊重するってことなんだ。

そして、それを大事にする先には、恐らく、おそらく他にも同じように感じている人がいるだろうという想い。

いや、いないかもしれない。ホントに。私に障がいを抱えた人の何がわかる?って?何もわからないよ。私は私を基準にしかできないから。

でもそれを元にして何が悪い?

この「えんとつ町のプペル」というお話は、たとえ周りの誰一人お前を信じようとしなくても、お前は最後まで自分を信じきれって言うんだよ。

だからね、これは私は私を最後まで信じきれるか?って、自分への挑戦なんだ。

父が脳出血でさまざまな障がいを抱えた後、いくつもやりたいことがあったのにも関わらず、制度的なことや人手のことやいろんな制限で叶えられなかったことがたくさんあった。そして叶えられないという事実を目の当たりにする度に、父の中の生きる気力が失われていき、死に向かっていくのを私は見ているしかなかった。

人は病いで亡くなるわけじゃない。生きることを諦めたときに、死が忍び寄ってくる。本人が招き寄せるんだ。自分が彼方の世界へ逝きかけて帰ってきた経験からも、そう思う。

障がいを抱えたんだから、障がいがない人みたいに生活できるなんて、何我儘言ってんだ?って?我慢しろよって?十分な福祉制度があるだろって?

いや、ふざけんな、だよ。お前こそ、黙ってろ、だ。

お前、自分がその身になったとき、そうやって自分の思いを自分で殺すんだな?お前はいいよ、それで。自分で選んでんだから。でも、私は絶対イヤだ。私が父と同じ状況に置かれたら、絶対今の福祉で満足なんかしないよ。極端すぎる言い方かもしれないけど、今のヤツはまだ何処までも昔のハンセン病の隔離政策と基本は大きく変わってないんだよ。そんなのに、何故納得できる?できないよ。一人の人間として尊重されてないんだよ?どうやって納得できるって言うんだ?

いや、そんなわけないだろって?

もちろん、いろんなことが改善されてきてるのは知ってるし、福祉制度が充実してきているのは事実だと思う。

でも気づいた人いるかな?これ、消去法の考え方なんだよね。

実はそうして多くの障がいを抱える人に我慢を強いているのが現状で、それを変えようと思ったら、何処に我慢があって、その我慢を強いない方法って何だろうか?って考えたいんだよ、私は。

あぁ、はいはい。世の中、障がい抱えても、今の福祉で十分満足してる人はたくさんいるとか、ほざくヤツは勝手に言ってろ。

それに「えんとつ町のプペル展」の開催に、福祉がなんの関係があるんだ?って?待ってろよ。

さっきも書いたように、死は生きることを諦めた人が招き寄せる。人が生きることを諦めるときって、どんなときだろう?

自分がこの社会の中で価値ある存在と感じられなくなったとき。

これが1番大きいと思う。自分が生きている意味を見いだせなくなったとき、人は死に向かう。

生きるか死ぬか、自分が選んでいるんだ。

だったら、人がこの社会の中で価値ある存在と感じられるためには何が必要だろうか?

これは外から何かを与えれば解決する問題じゃないと思う。それは傲慢というものだ。自分自身の力を信じていない人が陥りがちな考え方ややり方。

必要なのは、その人自身が消去法でなく、自分自身の力を信じられること。

障がいを抱えてなお、その経験も含めてすべてが価値あるのだと、いろんなことに活かせるのだと本人が思えなければ、根本的に必要な変化は生まれてこない。そう思う。

結局、必要なのは本人の中に生まれる変化でしかないし、それは周りが何かしたからと言って生まれるものでもない。結局本人がそう思えるかどうかに尽きるんだけど。

でも、この「えんとつ町のプペル」は、そっとそっと「僕は君を信じる」って伝えてくれる。

結局、私の個人的な想いで、観た人が何を思うかなんて左右できるものではないけど、これまでもいろんな言い方で伝えてきた私の想いでもある、「えんとつ町のプペル」も伝えてる「僕は君を信じる」って言葉を伝えたい、それだけなんだ。

だから、想いを消去しようとするさまざまな考えは無視して、うん、徹底的に無視して、その想いを実現するために必要なことを考え行動する建設的なやり方を取るよ。うん。

って、すんごく西野さんチックな文章でした( *´艸`)

For today 5/Sep/’16 #spiritual #livehealingly #instinct 

For today 5/Sep/’16

Always follow your instincts. 

Your instincts lead you in the right direction for journey of your life. 

There is time when an answer is not given you immediately even if you desperately need it. 

To be led, you need to surrender to unknown and to let go of control desires. 

When you could let go of it, you will find the joy of flowing that meant the true life. 

The life continue changing and flowing, as cells or the universe do.

We consist of body and mind and spirit and soul. 

It’s not only body and mind. 

For today 6/Sep/’16 #livehealingly #mysticmessages #quoteoftheday #QuantumMechanics 

For today 6/Sep/’16

We are always asked which we choose between fear or love. 

Can you hug someone who is attacking you? 

Can you love someone who lives on the street as a homeless? 

Can you hold stranger who seems to be lazy? 

That means we are always asked if we love ourselves that is our part of selves. 

In one of my mystical experience, I have been touched by tremendous unconditional love which contains the whole universe. 

It taught me that each of us doesn’t actually separate from other people who are just a part of us, and we are existence of only one in this universe having each body to taste unconditional love. 

And also taught me that that is why we were coming in this world. 

We needed each body because of realizing unconditional love through each experience with body and emotions and mind. Otherwise we can never taste an awesome unconditional love. 

We can easily deceive ourselves and consider the separation from others because of having each body and egos, and can also easily deny others because of denying a part of oneself with correctness or etceteras, to protect our ego selves. 

If we were one existence, can you imagine what happens? 

The world becomes peace if each of us could admit and love a part that each doesn’t want to accept. 

We all know this unconsciously. 

We are asked, in every moment, whether we run away from other existence, who is actually a part of ourselves, by fear or are able to love that part. 

Have you ever noticed someone is talking about experience which is totally different from yours even if both experienced an event under the same situation? 

In quantum physics, it was revealed that it immediately changes by being observed, when observer observes it. 

It reveals that you and other people taste each different experience in the same situation. It’s because each of us sees different event there by each characteristics and needs. 

Each of us is living in journey of each own life, that has different pace or different distance or different courses, with each purpose to achieve each mission. 

There is no need to compare to others among us. 

There is no need to be corrected by other people. 

Things only happen.  

And we are only asked what we choose to experience from there. 

Fear or Love. 

All existence seems different with purpose, but everyone is precious and respected unconditionally. 

Because we are oneness. 

We are love itself. 

※This understanding is based on my own mystical experience. 

Thank you for reading until the end. 

For today 7/Sep/’16 #unconditionallove #nirvana #livehealingly 

For today 7/Sep/’16

Love is patient.

Love wraps conflict up.

Love has no boundaries.

Love is unconditional. 

Love is limitless. 

Love takes no judgement. 

Love sheds tears for everyone who is fighting without knowing that a fighting partner is oneself. 

But love keeps watching all with faith that understanding is brought to everyone who decided to experience all, and that otherwise it’s not provided. 

That love exists at your core where you connect with the infinite universe.  

For today 8/Sep/’16 #willpower #livehealingly #ChangeYourMind 

Say what you need.

Otherwise no one ever notices that needs

Because we tend not to notice ordinary things. 

If a person you told didn’t listen to you, search for another person at different places. 

There is surely someone who listens to what you need and who gives you one’s hands. 

Don’t give up on too early. 

People love seeing what they believed causes a miracles. 

It’s simply because it thrills them and they can feel what love exists there. 

For today 9/Sep/’16 #spirituality #livehealingly #perfectionisyou 

All is needed. 

In fact, there are time or place nowhere, and we are only one existence who exists in this universe that continues spiraling upward infinitely. 

Wholeness and Oneness. 

We are only dancing with reality that most people believe as fact. You can see and taste extremely splendid love in beauty of that chaos, only if you decided to surrender ego. It’s because we can recognize something only when there is a difference. 

As you know, perfection has no difference. That’s why we need imperfection. 

To realize all, we need to get oneself by introspectiveness. 

Keep exploring deep inside and find core. Then flow and fly beyond reality.