父を看取ってからも、車を走らせている時に救急車がサイレンを鳴らして走ってくるその度に、車を路肩に寄せ、救急車が少しでも早く病院に辿り着く事が出来るよう、自分の出来る事をしてきた。
これまで、特に狼狽える事もなく来たけれど、でも、これまでは救急車が来るのがいつだって後ろからだったって事に、今日気がついた。
今日初めて前から救急車がサイレンを鳴らしながらやって来た時…
鼓動が激しくなり、指先が震え、涙が溢れて流れ落ち…。
ちょうど駐車場に車を停める事が出来たものの、落ち着く為に暫くの時間を要してしまった。
一瞬にして、父が死んでしまうんじゃないかという恐ろしい不安を抱きながら、救急車の中で固唾を呑んでいた時に引き戻されていた。
実際に、父が救急車で病院へ向かうのに同乗した3回程で、涙を流したことはなかったし、指先が震えることさえもなかった。そんなことは抑えつけなきゃならない、そんな状況だったんだ。
失語症を抱えた父の状態を知り、伝える事が出来るのは私だけだったから。でも、そんな緊急時であるほどに、失語症を抱えていると言う事がどれほど家族にとっても重圧になるかを思い知るのだった。
失語症は、記憶や考えたり感じたりする事に支障はない。けれど、それを表現しようとする時などに問題が生じてくる。例えば簡単な言葉だとしても、それを言う時に、思っている事と違う言葉が出てきたり、リンゴをゴリンと言ってしまったり。または、本人が分かったと頷いているから理解しているものと、こちらが思い込んでいると後で実は違うと分かったり…。
そして、それがいつ起こるのか分からないのだ。いつも同じ調子ではないから。見た目だけの調子の良さだけでは、計り知れないものがあるのだ。
そして、父には他の高次脳機能障害もあって…。
想像つくだろうか?身体の調子が悪くなり、かかりつけ医に診てもらっていても、発熱が1週間以上続いて、そしてそのような失語症を抱えているって状態が?
本人に確認してこちらが理解した事が、どこまで本人の実際の身体の状態であるのか。それを確かに明らかにする手立てがないのだ。
私でさえ、身体の具合が悪くなるほどに、自分の状態を伝える事が怪しくなったりもするのに、そんな父の全てを、生命を預かっているのだという思いは、私にはとてもキツイものだった。
そして、次のような事もあったのだ。
実際に、血圧や体温、心拍数などを数値として見ることはできても、それだけで本当の身体の状態を知ることはできないのだと、私は父の介護をする中で、少なくとも2回は思い知る事があった。
父が昨春に退院してきてから、具合が悪くなった時、上記のような目に見える数値だけでは問題ないとされても、なお、計り知れない何かがあることが、私にはうまく説明できないけれどはっきりと感じてて、家で看ておける状態ではなくなっていると医療従事者に何度も説明するのだけれど、私の感覚的な説明に彼らが納得することはなかった。
けれど、結局は救急車が呼ばれ、入院せざるを得ない状態であるのが後に判明したのだった。そしてその2度とも、生命に関わる問題だった事も。
だから…。
きっと、まだ暫くは今日みたいな事が起こるだろうと思う。でもそれも、時間と共に穏やかになっていくはずだ。
後2週間で、父が旅立ってから10カ月になる…。